岐阜地方裁判所 昭和37年(ワ)395号 判決
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〔判決要旨〕判示のような事情のもとにおいて、賃貸人が移転先を提供したといつても、賃借人の営業に適する家屋を具体的に提示したと認められる十分な証拠がなく、又移転料の提示も少額であつて営業上の利益の喪失を補償し、住宅移転の費用をも補償するのに十分でないと認められるときは、賃貸借解約の申入は正当の事由を欠き、たとえ右移転料の提供を条件とするものであつても、その効力を生ずる由もないものといわなくてはならない。
〔事実と争点〕原告は、判示のような事実関係のもとに、第一次的には無条件の明渡を、予備的には金一五万円を提供することを条件として、本件家屋の明渡を求め、かつ明渡完了にいたるまで一ケ月金一万円の割合による損害金の支払を請求した。(なお、移転先の提供と正当事由との関係については、「買受人が借家人のために移転先として建物を提供して空家にしてあるという事実は、正当事由を判断する間接の一事情として、借家人が移転先を探す努力をしないで二箇年の歳月を徒過したことと相まつて、正当事由の一理由となる。」むねの昭和二五年二月一四日の最高裁第二小法廷判決や、「借家人が新家主からの借家折半使用の申出または移転先の配慮若しくは売家、貸家の斡旋を拒絶した場合には、拒絶について相当の理由があるかどうかを認定しなければならない。」むねの昭和二九年四月三〇日の同第三小法廷の判決があり、立退料の提供を条件とする家屋明渡を命じた判決の例としては、昭和三三年五月二八日東京簡易裁判所判決、下級民集九巻五号九〇九頁がある。
被告は、本件家屋を住宅兼店舗として、下駄や茶の小売を営み細々と生計を樹てているので、他に転居するとなれば得意先を失い忽ち窮境に陥ることは必定である、といつて、争つた。
判決は、次に判決理由として摘録したようにいつて、原告の請求を棄却したのである。
〔判決理由〕原告は肩書地に在る家屋に居住し金融業を営んでいるが、右家屋は原告の亡兄横山義一が建築したもので、昭和七年二月二九日義一の死亡により訴外横山雅夫(原告の甥)が家督相続によりその所有権を取得したのであるが、雅夫が幼少であつたので原告は右家屋に移り住み親代りとなつて雅夫を養育し、雅夫が成人して昭和二七年一一月一七日結婚した後は同じ敷地内に在る間口四間、奥行五間の木造瓦葺平家建、六畳間四室の別棟の家屋に若夫婦が住み(現在は空屋)、その後雅夫は名古屋に転勤するようになつたが、昭和三五年秋頃に名古屋市内のアパートに移転し今日に至つているが、最近雅夫は自己所有の右家屋に住み度い希望を持ち原告に対しその明渡の交渉をしていたが、昭和三七年六月二九日岐阜簡易裁判所において、原告より右家屋を昭和三九年六月二八日の満了と共に明渡を受ける旨の調停が成立した。他方被告は亡父可児伊三郎が昭和七、八年頃から訴外林謙吾の先代より本件家屋を賃借し、伊三郎の死亡後被告がその賃借権を承継して今日に至つているが、その間伊三郎及び被告が多年に亘り本件家屋を住宅兼店舗として使用し、現在は被告が履物及び茶の小売商を営んでいる。そして右家屋は林謙吾が原告及び訴外岐阜相互銀行より多額の債務を負担しその整理の必要に迫られたので原告に依頼して之を買受けて貰い借財を整理したのであるが、原告は本件家屋を買受けると間もなく被告に対し自己使用の必要あることを理由に明渡の交渉を為したが、被告は本件家屋を生活の本拠とし、その店舗で地域的に限られた範囲の願客相手の商売による僅かな収益で、妹と妻子の五人家族の生計を維持しているのであつて、適当な移転先もなく且つ他に転居した場合の商売の成行にも不安があるのみならず他に商売に適する家屋を求める資金もない。尤も原告は被告に対し移転先を提供したと主張するが、営業に適する家屋を具体的に提示したと認められる十分な証拠なく、又移転料の提示も少額(金一〇万円)であつて、被告の蒙るべき損失の補償としては十分でない。しかも被告はこれ迄資料を確実に支払い又折に触れ自己の負担において右家屋を修理するなど借家の保管にも意を用い賃借人として何等責に帰すべき事がなかつたのに拘らず、新しい家主である原告から今回突如として明渡の要求を受けるに至つたのである。
以上認定の事情を基礎として考えて見るに、原告は甥の訴外横山雅夫が原告居住の家屋に入居するにつき之を同人に明渡す必要があり、従つて本件家屋を原告自ら使用する必要ありとして被告にその明渡を求めているが、被告は本件家屋に住宅兼店舗として永年居住し生活の本拠としているのであつて、一家の生計を之に依存すること極めて強く、且つ経済的にも恵まれぬ為他に恰好の店舗を求める当てもないのに対し、原告は甥の雅夫に現在の家屋を明渡す約束があるとは云え、差当り雅夫は勤務先の名古屋市内に安定した住居を持ち、又自己の所有家屋に移転し度いならば、永年原告と同居した経験もあるし、又嘗て結婚後住んでいた別棟の家屋も空いているから、之に居住することも可能であると考えられる。尤も横山雅夫(第一、二回)の証言として、原告と不仲であつて同居し難い旨述べているが、嘗て成人する迄原告の世話を受け、結婚後も約八年に亘つて同居していた事実からしても、原告が立退がない限り雅夫が右家屋に移り住むことが不可能であるとは認め難い。
もとより原告の現在する家屋は雅夫にとつて亡夫からの相続財産であつて、何時かは原告より明渡を得て単独で居住することを望むのは無理からぬところではあるが、被告の本件家屋に対する喫緊の必要性を考慮するとき、被告に之より立退かせて原告が移り住み、雅夫に現在の家屋を明渡さねばならない程の必要性があるものとは認められない。従つて昭和三六年五月一三日原告が被告に対して為した本件家屋賃貸借解約の申入は、正当の事由を欠きその効力を生じなかつたものといわねばならない。
次に原告は昭和三九年二月二八日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、被告に対し立退料金一五万円を提供する用意ありとし、之によつて正当事由を具備するから更に本件家屋賃貸借解約の申入を為す旨主張する。
併し乍ら前説示のように被告は多年に亘り本件家屋を営業用店舗として使用し一家の生計を之に依存しているのであるから、原告側の都合により何等の責むべき事由の存しない被告に対し明渡を請求する為には、単なる移転費用の外なお被告がその場所において商売を営むことによる営業上の利益の喪失に対し補償することが衡平に適するものと考えられる。かような見地に立つときは、右の補償金は、現在の願客を失うことによる損失、移転に伴う休業による損失等の補償や他に店舗を開設するに要する費用等をも含むべきであつて、このような営業上の利益の喪失を補償し且つ住宅移転の費用を補償することにより、はじめて原告の本件家屋賃貸借解約申入は正当の事由を具備することも有り得よう。しかるに前掲の各証拠や弁論の全趣旨を総合すれば、原告が提供すると主張する金一五万円を以てしては、被告の移転費用の外にその蒙ることあるべき損失を補償するに足るものとは認められないのであつて、右金額の提供を条件とする解約申入も正当の事由を欠くものとしてその効力を生ずる由ないのである。(小西高秀)